November 2012

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2012.11.02

古河の歴史29 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史28」の掲載はここ



〔 戊辰戦争と古河藩 〕
徳川慶喜(よしのぶ)は1867年(慶応3年)10月、政権を朝廷に返上(大政奉還)した。
朝廷はこの年の末に幕府を廃止し、天皇のもとで政治を行う王政復古を宣言した。

新政府は徳川慶喜を新政権に加えず、領地を返すことを命じた。
旧幕府側は慶喜を立てて反対し、戊辰戦争が起こったのである。

また、新政府は全国の有力な藩主を京都に集め、これからの政治について会議を開くことを決めた。古河藩は新政府に上洛を命じられた。古河藩内では、佐幕派と勤王派に意見が分かれ悩んでいた。

小杉監物はついに佐幕派を押し切って、藩主土井利與(としとも)と共に上洛を決行した。
その結果、古河藩は戦火にあうことなく、新時代を迎えることができたのである。
監物は古河に帰って9ヵ月後の1869年(明治2年)4月10日、62歳で病死した。




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2012.10.26

古河の歴史28 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史27」の掲載はここ



〔 古河の開港説 〕
古河藩の元江戸家老で蘭学者でもあった鷹見泉石は、ペリーの来航を知ると、「愚意摘要」という意見書を著した。その中で、泉石は、早急に軍艦・大砲をつくり軍法を改めること、日本の軍備を整えること、兵学・航海・測量などの技術を学ぶこと、外国に協力を惜しまず礼儀正しく接することなどを説いている。

古河藩が佐幕開港派であるといわれるのは、この鷹見泉石の考え方によるところが大きいといわれている。

〔 家老・小杉監物 〕
監物は古河に生まれ、23歳の若さで古河藩の筆頭家老になり、4人の藩主(利位・利享・利則・利與)につかえた。

時代の流れを読み取る力をもって鷹見泉石の考えを尊重し、西洋の思想を早くから理解した人物である。

弟に西洋流の砲術を学ばせたり、藩医の川口信順(しんじゅん)(川口信任の孫)に古河で始めて予防接種(種痘)を行わせたりした。

多くの人材を育てて活躍させ、古河藩の技術・文化、さらに武術の発展のために大きな功績を残した家老であった。

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2012.10.19

古河の歴史27 by もも子 [まちの歴史]

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2012.10.16

第14回 古河 関東 ド・マンナカ祭り by もも子 [イベント]

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☆10月13日(土)・14日(日)

ド・マンナカ祭り

が開催されました。


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2012.10.02

応援いっぱいの第6回古河朝市 by もも子 [イベント]

画像(180x135)・拡大画像(640x480)

☆9月30日(日)朝7時より古河駅西口雪華パーキングで、第6回古河朝市が開催されました。

☆大型台風17号の進路と速度が気になりながらの開催でしたが、7時の開催直後は曇り空、その後日が差してきて(ちょっと暑かったかも・・・)
台風の影響を受けずに済み、40を超えるブースの数、大勢の皆さんが来場
更に“ゆきとのくん”も駆けつけてくれて大いに盛り上がった朝市になりました。


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