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2012.10.19

古河の歴史27 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史26」の掲載はここ


〔 利根川の洪水 〕
古河は利根川をはじめ、渡良瀬川、思川など多くの川が集中する場所でもある。
これらの河川により、人々は水上交通の上で多くの恩恵を受けていた。

しかし、増水すると洪水の被害も大きく、田畑や屋敷への浸水にしばしば悩まされた。その原因の一つに、江戸幕府によって進められた河川改修事業の影響があったといわれている。

江戸湾に流れていた旧利根川を、現在の利根川の本流である常陸川に導き、銚子で太平洋の鹿島灘に流すという工事は、1594年(文禄3年)に始まり、1654年(承応3年)に赤堀川(現在の古河市中田から境町までの利根川の河道)を彫ることによって完了したといわれている。

この工事は、旧利根川の洪水で、江戸が水害にみまわれるのを防ぐことと、水運を良くして水上交通を盛んにすることを目的に行われたということである。

この改修工事でできた赤堀川は、当時旧利根川(権現堂川)より川幅が狭かった。しかも、天明3年の浅間山噴火という状況が重なり火山灰が川底にたまって川底が上昇したため、梅雨時の長雨や台風の時期になるとしばしば洪水を起こしてしまい、農作物に大きな被害を与える結果となった。

利根川を中心とする河川の洪水による被害は、古河領の農民をよりいっそう苦しめ、農村荒廃に拍車をかけていったのである。

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