September 2012

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2012.09.05

味覚の秋 by もも子 [クチコミ情報]

☆まだまだ残暑厳しいこの時期、でも、果物の美味しい季節でもあります。

☆秋の果物のトップに挙げられるのが 『ぶどう』
しかし、「遠くのぶどうの産地まで行くのはちょっとおっくう」という人に朗報で〜す!!

★観光ぶどう園が古河市内にあるんですよ!!

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2012.08.27

古河の歴史26 by もも子 [まちの歴史]

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2012.07.23

古河の歴史25 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史24」の掲載はここ



〔 蘭学者 鷹見泉石(たかみせんせき) 〕
1822年(文政5年)7月、第11代古河藩主土井利位(としつら)の御用役になった泉石は、利位の雪の観察研究開始とともに、利位とは主従を超えた密接な関係となった。

泉石は1785年(天明5年)6月に古河城下の屋敷で誕生した。
また、泉石はヤン=ヘンドリック=ダップルの洋名ももち、13歳から74歳までのおよそ60年にわたって、125冊の日記帳を書き残している。
若いころからオランダ語に興味関心をいただき、研究を進め、色々な蘭学の勉強に励んだ。

さらに泉石は、蘭学を通して渡辺崋山(わたなべかざん)、大槻玄沢(おおつきげんたく)、大槻磐渓(ばんけい)など当時の著名な蘭学者たちや、シーボルトなどのオランダ商館員とも親しくしていた。
特に地理学に詳しく、広い世界の動きをよく見て「愚意摘要」(ぐいてきよう)を著し、幕府に外国との交流を願い出た。

また、「新訳和蘭国全図」(しんやくおらんだこくぜんず)や「日光駅路里数之表(にっこうえきろりすうのひょう)」などを著したり、大塩平八郎の乱を鎮めたりしたことも有名である。

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2012.07.18

みやびサマーフェスタ by もも子 [日記]

画像(180x115)・拡大画像(640x411)

7月15日(日)
坂長 石蔵で、「まちを元気に!」をテーマに
“みやびサマーフェスタ”が行われました
午前の部は結城市在住、紙切り師・結城花心(ゆうきはなこ)さんのパフォーマンスがありました。


小さなお子様連れの方が多く、結城さんの話術の素晴しさも光る一点で、気取りのない人柄か「オッー」などと語りかけ、一気に子供たちの心を掴んでいきました。

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2012.07.06

古河の歴史24 by もも子 [まちの歴史]

前回の「古河の歴史23」の掲載はここ



〔 河口信任(かわぐちしんにん)と「解屍編」(かいしへん) 〕
河口信任は1736年(元文元年)5月9日、唐津(佐賀県)で誕生した。
幼少期は藩校盈科堂で学び、18歳で見習い医師になり医学への道を志し、長崎で遊学、栗崎流の外科奥義免許皆伝を習得した。

信任はオランダの人体解剖を特に研究し、1770年(明和7年)京都で自ら解剖刀をとって解剖を行い、取り出した臓器の一つ一つをオランダの医学書と照らし合わせ、その蘭書の正しさを知って大変驚いたという。

そして、熱心に研究した解剖の結果をまとめ、1772年(明和9年)に「解屍編」(かいしへん)という人体解剖の図書を刊行し、日本の医学の発展につくした。

このとき信任は37歳であった。
長崎で蘭学を学んだ信任は、古河藩で西洋の近代的な学問や医学を築き育ててくれたのである。

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プロフィール

もも子

知っとこクチコミ探偵団

ボス

もも子

年齢 :答える義務なし
住所 :古河市在住
血液型:A型
家族は夫と長女7才、長男5才、犬一匹。しかし育児と家事のほとんどを夫に任せ、自分は古河のお得な情報集めに日夜明け暮れる(フリをしている・・・家事が嫌いなだけ)。
座右の銘「トクする人生ここにあり!byもも子」

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